草むらに倒れ伏す僧衣の男の傍に、不意に赤い炎が浮かび上がる。炎は鳥のようで人のような、奇妙な姿をしていた。其れは伽樓羅と呼ばれていた。
『……達磨』
炎を纏う鳥は、己と契約を結んでいた男へ呼びかけた。男からの返事はない。男は喉元を自らの血に染め、既に意識は途絶えていた。
『死ぬのか、達磨』
静かな、感情の篭らぬ声だった。ただ、事実を確認するだけの。
伽樓羅にとって、もはや見慣れた光景だった。百五十年、伽樓羅はこうして死にゆく明陀の座主を看取ってきた。悪魔の手にかかった者、病に倒れた者、不慮の事故にあった者、一人静かに逝く者、大勢の者に囲まれ逝く者。父祖不角から数えて十六人、その全ての最期を伽樓羅は見てきた。間もなく十七人目のそれを見ることになるのだろう。それで、終わりだった。伽樓羅がかつて不角と交わした契約は最早途切れてしまった。
『終わるのか』
それに答える声はない。
「伽樓羅、私と契約を結んで欲しい。不浄王を滅ぼすための、力が欲しい」
十五年前の夏の夜だった。大勢の同胞を失った青い夜を経て、明陀宗に不穏な噂が付き纏い始めていた八月、座主血統に嫡子が生まれた夜。座主のみが立ち入ることを許された降魔堂の地下で、封印された不浄王を前にして、達磨は伽樓羅にそう告げた。
それは覚悟を決めた者の目であった。初めて伽樓羅が達磨の前に顕れたときの、悲しみと混乱に揺れていた眼差しは何処にもなかった。ただ、己が命をかけることを決意した男の目であった。
(……嗚呼、不角よ。其処に居たのか、不角)
伽樓羅という悪魔に人のような心があるとするのならば、その瞬間心を満たしたものは間違いなく歓喜であった。
明陀宗の人々が秘密を守り、血統を守り、年月と代を重ねるうちに、それが少しずつ形骸化し、守るものの本質が失われつつあっても、伽樓羅はただそれを傍観していた。いつか来る己が役割を果たすことを、不角との約定を守ることを待ちながら。伽樓羅にとってそれが、もはや二度と会うこと叶わぬ不角との繋がりであった。
だが、不角は生きていた。座主の血脈の中で、確かに生きていた。
(これが人か、不角。お前が、守ったものか)
炎の鳥は、高らかに笑った。
『いいだろう、勝呂達磨。お前が望むままに、我は力を与えようぞ』
『……悪魔に感傷の情というものがあるとはな。それとも、これもお前たちの影響か』
目覚めぬ男を見下ろし、伽樓羅は皮肉げに笑った。
不意に周囲の空気が張り詰め、一瞬後にその身の炎が勢いを増して燃え盛る。
『我は伽樓羅。不死鳥の名を戴くもの』
炎の輝きは夜空を照らし、達磨の体を包み込んでいく。
『達磨、お前をここで死なせはせぬよ』
[4回]
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