ちりん、と頭の中に鈴の音が響く感覚がして、勝呂は書物に落としていた視線を上げた。壁の時計に目をやると、まだ日付が変わるには少しばかり早い時間だった。何かを確認するように整然と片付けられた自室を見渡し、それから小さな溜息を落として、勝呂は外に面した障子窓の方へ移動した。たん、と故意に音を立てるように障子を開け放つ。
「窓から入ってくんのやめえ言うとるやろ」
そこには、ちょうど開けようとしていたのであろう手を伸ばした姿勢で動きを止めている奥村燐がいた。
「よっ、勝呂!」
悪びれた様子もなく挨拶する相手に今更言っても無駄なことは分かっていても、勝呂の几帳面な性格が毎回窘める言葉を言わせてしまう。また一つ溜息が洩れた。
「上がるんなら靴は脱げや」
「おう」
勝呂が窓のそばを離れると同時に、ひょいと燐が飛び上がった。
「それにしても、よく俺が来たこと分かったな」
「こないだ寺の結界張り直したんや。前は悪魔の侵入防ぐだけやったけど、そん時ついでに侵入されたら感知できるように手ぇ加えてん」
へええ勝呂すげえ!と目を輝かせる様子はかつて高校生だった頃と変わっていなくて、これが正十字騎士団の切り札と呼ばれる祓魔師とは思えへんな、と勝呂は思う。
お互いに子どもではなくなって早数年。バチカン本部に籍を置いてはいるが世界中のあちこちに出向いている燐と、日本支部京都出張所に所属しつつ、最近は本格的に寺の復興の方に力を注ぐ勝呂。それぞれがそれぞれの場所で忙しくて、顔を合わせる機会も随分と減ってしまった。最近はこうして年に数回、突然燐が勝呂を訪ねてくるばかりになっている。
今日も今日とて、燐に座布団を勧めながら何か飲み物を取ってこようかとした勝呂を、そんなに長居はできないから、と燐が留めた。
燐の方がどう思っているかは分からないが、勝呂はそれを寂しいとは思わない。思わないようにしている。そうでないと、結界をわざわざ感知型に変えた理由に、防衛以外の其れを見つけてしまいそうで、勝呂のプライドが拒否をする。半分悪魔の燐が結界に弾かれることがないように、と十八代目座主自らがつくった護符を渡しておいて何を今さら。付き合いの長い志摩辺りに知られたならば鼻で笑われそうであったが。
短い時間を惜しむかのように、燐は饒舌だった。同じくバチカンにいる弟のこと、最近達成した任務のこと、任務先の国の食べ物が美味しかったこと。勝呂も話した。志摩や子猫丸のこと、寺の結界を張り直したときのこと、明陀宗のこと、父親のこと。他愛もない近況報告と世間話だったが、楽しかった。
しばらく二人で話に夢中になっていたが、微かな振動音でそれは中断された。心当たりの方に目を向けると、机の上で勝呂の携帯電話が震えている。
「電話か?」
「いや、メールや」
志摩からやな、と差出人の表示を見て呟く。本文を確認しようとした勝呂の手中から、ひょいと携帯が抜き取られた。
そんなことをできる人間はこの場に一人しかおらず、抗議しようと顔を上げた勝呂は、思いの外燐が自分のそばに来ていて軽く瞠目する。
「なん、」
言いかけた言葉ごと、唇を燐の其れで塞がれる。
「…ん……ふ、っ」
薄く開いた歯列の隙間から舌が差し込まれる。お互いの其れが絡み合う感触に背筋を震わせながら、勝呂は目を閉じた。掴まれた肩が熱いのは、自分の体温のせいか、燐の手のせいか。どこかずれた思考が脳裏をよぎる。
ようやく開放された頃には、どちらも息が上がっていた。口の端に垂れた、どちらのものともつかない唾液を指で拭った勝呂に、燐が告げる。
「誕生日おめでとな、勝呂」
はたと気づいて時計を見ると、日付が変わって数分が過ぎていた。燐から返された携帯のメール画面を確認すると、志摩のメールは同じく誕生日を祝うものだった。
「志摩ってそういうとこマメだよな。でも俺一番にお前の誕生日祝いたくてさ。いやぁ、焦った焦った」
「お前は焦ったら人にキスするんか」
笑うその頭をはたいてやると、燐は子どもっぽく口を尖らせた。
「ちげーよ。誕生日プレゼントだっての」
「やすいやっちゃなぁ」
わざと呆れた顔をつくってみせた。けれども、多忙な男がわざわざ自分の誕生日になる時間を狙って訪れることが、やすい訳ではないことを知っている。だから、
「おおきにな」
素直な気持ちで感謝を告げる。自分の笑顔くらいでは礼には足りないかもしれないが。
「おう!」
ただ、勝呂が密かに気に入っている、燐のその笑顔だけでもプレゼントには十分だなんて、そこまで恥ずかしい台詞は流石に口にはできなかった。
[8回]
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