・着るものを選びましょう
(……まあ、こんなことになるやろうなぁとは思とったわ。予測の範疇や)
中学生にしては達観した顔で廉造は笑う。その視線の先には火花を散らせて言い争う若い男女の姿があった。
「せやからお嬢にはこっちの茜色がええて言うとるやろ!」
「はん、お甲にしては妥当な選択やけどな、竜士さまにもっと似合うんはこの乱菊柄のんや」
「くっ、蛇女のくせしてやるやないか。そんならこれとこの帯でどうや!」
「…………っ!」
「どないや、素直に負けを認めえ」
いつから勝負になっとんねん、と廉造は心の声で兄・柔造と宝生家の長女・蝮につっこみを入れた。
そもそもの発端は、先日、金造の協力で廉造が勝呂と祭に行く約束を取り付けたことだった。せっかくだし子猫丸も、と翌日勝呂が言ったのは当然の流れである。金造にばれた時点で、すでに廉造は勝呂と二人きりでの祭デートは諦めていた。しかも気づけば、いつの間にか当然のように柔造と蝮も頭数に加わっている。京都出張所の若手ホープとして多忙なはずの二人は、祭当日である今現在、虎屋の一室で勝呂が着る浴衣をどれにするかという問題で終わりの見えない争いを繰り広げていた。仮にも旅館の一人娘として、勝呂も(殆ど着ていない)浴衣は数枚持っていたが、さらに虎子提供のものや、志摩・宝生両家持ち寄りのものも並べられ、部屋の中は小規模ではあるが浴衣の見本市状態だった。
ちなみに、普通に洋服でええやろ、という勝呂の言葉は、「そないな勿体ないことあきまへん!」という柔造・蝮の息が合った言葉で却下されている。その点についてはグッジョブ、と廉造は思ったが、そろそろいい加減にしてほしい。
「あれは長いで」
思わず溜息が出た廉造に声をかけてきたのは、ばりばりと煎餅を食べながら傍観を決め込んでいた金造だった。
「おん、せやろな。金兄、俺にも煎餅」
「ん。お前は混ざらんのん。お嬢の浴衣チョイスバトル」
「五体満足で行かれんくなったらどないすんねん。そら、お嬢に俺が選んだ浴衣着てもらえたら一番ええけど」
そう答えた弟を横目に見て、廉造はやっぱり廉造やなぁ、と呟いた金造は煎餅の欠片を口に放り込んだ。
廉造が溜息を吐いたのと同じタイミングで、勝呂も終わりの見えなさそうな二人の様子に小さく溜息をついていた。その隣に子猫丸がちょこんと座った。
「お嬢、決まりました?」
「……まだみたいやけど」
少し疲れた様子で呟く勝呂に子猫丸は苦笑する。「浴衣着たお嬢と祭に行くんが楽しみで休みもぎとってきたんですえ!!」と主張した年長者二人が自分のために浴衣を選んでくれている以上、口を挟みにくいのだろう。強気な性格だけれども、自分に向けられる好意にはひどく弱くて、無碍にはできない。子猫丸から見た勝呂はそういう人だった。
ならば、と子猫丸は助け舟を出すことにした。もそもそと煎餅を齧るもう一人の幼馴染にもちらりと視線を向けてから。
「どうせ最後に決めるんはお嬢なんやから、決着待たんと選んでしもたらええんとちゃいますか? お嬢なら何でも似合いますよって。ほら、その証拠に柔造兄さんも蝮姉さんも口調はきついけど、お互い選んだんがお嬢に似合わへんとはいっぺんも言わんやないですか」
「はー、子猫丸よう見とるなぁ、流石や。けど、何でもは言い過ぎやで」
完全に世辞として受け取っている勝呂に、お世辞やないですよ、と返しながら子猫丸は一枚の浴衣を選んで彼女に渡した。
「これとかどないです? 桔梗色が綺麗や。きっとお嬢によう似合いますよ」
渡された浴衣をしばらく眺めて、それから勝呂は子猫丸に笑顔を向ける。
「……ええ色やな。それに、折角子猫が薦めてくれたしな。おおきに。蝮ー、俺これにするわ。すまんけど、着付け手伝ってもろてええか」
口論がエスカレートして不穏な空気を醸し始めていた柔造と蝮が、勝呂の声ではっと我にかえる。何か言おうと口を数回開閉させたが、結局何も言えずに無言でお互いを睨みつけるところまで二人の行動はそっくり同じだった。
「……子猫さん」
「はい?」
男どもはとっとと出ていきよし、と気を取り直した蝮に追い出された後、兄たちには聞こえないように廉造が小声で子猫丸に話しかけてくる。
「あの浴衣なんやけど、」
言葉を切った廉造の方を見て、子猫丸は逆に問いかけた。
「合うてました?」
「へ?」
「志摩さん、あの浴衣ええなぁて思てはったでしょ。ちらちら見てはったし」
うぇ、とおかしな声を洩らした廉造の顔を見て、思わず子猫丸は噴出した。欲しがってるものは分かりやすいのに、ちょっと面倒くさそうだと引いてしまう。変な諦め癖がついてしまっているのが、この幼馴染の悪いところだと思う。お嬢への思いを諦めるつもりだけはなさそうなのに、どうにも押しが弱い気がする。
(それだけ、志摩さんがお嬢のこと大事に思うてはるってことなんやろうけど)
だから、ささやかな助け舟のつもりだった。彼にとって大事な大事な幼馴染たちへの。
「……ほんま、子猫さんよう見てはるわぁ」
廉造の呟きに子猫丸はにんまりと笑った。
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・支度をしましょう
蝮に手伝いを頼みはしたが、勝呂も着付けができないわけではない。母親に一通りのやり方は仕込まれている。とはいえそんなに頻繁に着ていないので誰かに見てもらった方がきちんと着付けられるし、勝呂が言わずとも蝮は手伝いを申し出ていただろうが。
「後ろ、曲がってへん?」
「大丈夫ですえ。上手にできてはる」
自分も浴衣に着替えた蝮はにこりと微笑んで、少しだけ襟元を整えてくれた。それからそっと勝呂の髪に触れる。
「竜士さま、髪も少しいじりましょか」
「結えるほどの長さないで」
髪留めなんかで纏めたらかいらしいどすえ、と小物入れを探っている蝮の機嫌はいい。つい先程まで柔造と険悪な雰囲気を作り出していた者とは別人のようだった。
「蝮楽しそうやなあ」
「やって竜士さまを着飾れるんは滅多にない機会やし。髪も伸ばしはったらええのに」
「……こっちのが楽やし」
丁寧に櫛で髪を梳いてもらいながら言われた言葉に、勝呂は少し視線を落とした。
髪を伸ばしたらどうかとか、もっと女らしい服を着てみたらどうかとか、そう言ってくるのは蝮だけではない。母親は勿論だし、虎屋の女性従業員も何かの拍子でそれを口にする。昔はそうでもなかったが、勝呂が二次性徴を迎えた頃から増えたような気がする。平均よりも伸びた身長には満足していたが、丸みを帯びた体つきだとか、たぶん標準より大き目の胸だとか、そういうものを勝呂は受け入れられていない。だって自分は虎屋の女将にはならない。母親には少しだけ申し訳ない気持ちもあるが、自分が継ぎたいのは明陀の座主なのだ。だから、
「女やからって舐められたない」
顔を上げて、まっすぐな瞳で言葉を紡いだ勝呂を見て、蝮は目を細める。眩しい存在だ。眩しくて愛しい存在だ。けれどもそのまっすぐさが恐ろしくもある。
「……見目を飾ったりせんことと、男に負けんように生きること、それは必ずしも同じやないんどすえ」
年齢を長ずれば、そのうち嫌でも男女の身体の差を思い知らされることになる。気持ちがぴんと張り詰めたままでは、それはいつかぷつりと切れてしまうだろう。だから少しだけでいい。柔らかさを持ってほしい。今はまだ届かなくても、勝呂の心の隅に自分の言葉が残ってくれればいい。そう思いながら、蝮は話し続ける。
「蝮は髪を伸ばしてます。化粧もします。せやけど、竜士さまから見て、私は志摩のお甲どもに負けてますやろか」
普段の髪型とは違って、長い髪を結い上げた年上の幼馴染は、同性の勝呂の目から見ても美しい。彼女が宝生家の長女として、正十字騎士団の祓魔師として、どれほど優秀かも勝呂は知っている。
「……負けてへん」
「ね、そうでっしゃろ」
微笑んで、蝮は勝呂の艶やかな髪に髪留めをする。少しだけ紅もさしましょか、と言うと勝呂は抵抗しなかった。ただ、ぽつりと呟いた。
「やっぱり女は着飾っとる方が好きなんやろか……。……好きなんやろうなあ」
「…………竜士さま。誰かになんぞ言われでもしましたか?」
無意識に零れ落ちたのであろう、その言葉が一般論ではなく特定の誰かを指している気配を蝮は感じ、筆を握る手に力が篭もる。脳裏にクローンのように同じ顔をした男たちの姿が次々と浮かんだ。
「べ、別に何も言われてへんし。ちゅうか蝮、筆! 筆! みしみし言うとるで!」
はっと我にかえった勝呂の静止も間に合わず、綺麗な塗りの紅筆は蝮の手中でばきりと折れてしまった。
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子猫さんは何でもお見通し。
あとお嬢は完全に無自覚です。
[4回]
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