何の前触れもなく意識が覚醒して、布団の中で竜士は目を覚ました。ネオンどころか街灯もない山奥の寺の夜は深い闇だった。おまけにずっと降り続いている雨で月明かりすらもなかった。どうやら雨脚は寝付く前よりも強くなっているようで、瓦を叩きつける音が天井から聞こえてくる。それでもしばらく起きていれば、暗闇に慣れてきた目は周りの輪郭をうっすらと捉えられるようになっていった。
大して広くはない和室は子どもたちに割り当てられた部屋で、竜士を挟んで両脇に廉造と子猫丸が眠っている。しばらく逡巡した後、竜士は静かに身を起こした。
「……ん…。坊…?」
「なんでもないで。便所や」
二人を起こさないようにそっと布団を抜け出したつもりだったが、廉造のくぐもった声がする。それに竜士が返事をすれば、「おはようおかえりやす…」ともごもごと聞こえてから再び静かな寝息になったようだった。
障子を少しだけ開けて隙間から室外に出れば、耳に届く雨音はより大きなものとなる。ごうごうと風の音もする。
(早よ雨止まんやろか)
湿気を帯びた縁側を歩きながら竜士は思う。就学前の竜士たちにとって境内やお山が日々の遊び場であったが、それは晴れている日の話だ。こうも雨が降り続いていては屋内でしか遊べない。竜士はその年齢の割には分別の付く子どもであったが、それでも遊びたい盛りの子どもであることには違いなかった。お堂の中を廉造や子猫丸と一緒に走り回って八百造に怒られた回数は少なくはない。
(つゆなんて嫌いや)
雨が降り続く今の季節を指す単語を覚えたのは最近だった。用を足した帰り道に、縁側から真っ暗闇の境内を眺める。雨音は弱まるどころか、先ほどよりも勢いを増しているようだった。
部屋に戻ろうとした竜士の目に、閃光が飛び込んだのはそのときだった。
「っ、わ!」
空が光った、そう思った数秒後に今度は轟音が響き渡る。どぉん、がらりがらり、と思わず手で押さえた竜士の両耳の中で音が反響する。
「びっくりしたわぁ…」
誰に言うともなく呟いて、何となく駆り立てられるように竜士は早く戻ろうと考える。そうして踏み出そうとした足は再び空を走った閃光に遮られた。竜士の両目が今度は稲光をはっきりと捉える。さっきよりも早い間隔で響く轟音。
竜士にとって雷は初めてのものはない。けれども、こんなに激しい光と音を体験するのは初めてだった。そのことが竜士の足を竦ませる。
「う、ぅ……」
雷は遠ざかるどころか、どんどん頻度が増えてきた。どんなに両耳を塞いでも、音が鼓膜を振るわせる。部屋までそう遠くないのに、動けない。竜士の視界が滲んだ。
「坊? そこにいてはるんですか?」
聞こえたその声と、暗闇の向こうで灯りに浮かび上がったその姿で、竜士の心にじんわりと安堵が広がった。
「柔造…」
行灯を手にした柔造がそこに立っている。
「なんや声がしたなぁ思たらやっぱり。どないしはったんですか」
「な、なんでもあらへ…っ!」
傍に来て笑いかけてくる柔造に対して取り繕うとした竜士の言葉は、絶妙なタイミングで雷に遮られた。その轟音に柔造も一瞬身を竦めはしたが、空とぎゅっと目を閉じている竜士を見比べて得心する。
「雷に吃驚しはったんですね」
「し、してへん!」
震える声では明白すぎるその強がりに、ほんまかいらしいなぁ、と柔造は笑みを深くする。しゃがみこみ、左手には行灯を持ったままだったので、右手で竜士を抱き寄せる。すると小さな体がぎゅうぎゅうとしがみついてくる。
さてどうしたものかと柔造は考える。確か天気予報では明け方まで雷雨になるだろうと言っていたはずだった。
「坊」
「俺はびびってへんぞ!」
「もちろん柔造は坊が強いお人やいうのを知ってますよって」
そうや、と片手で抱き上げた竜士を上目遣いに見ながら、柔造は口を開く。
「坊、今夜坊たちのお部屋にお邪魔してええですか?」
「ええけど、なんで?」
実は雷が恐いんですわ、と少し声を潜めて告げれば、竜士のくるりとした両目が瞬く。それから「ほんまに?」と呟く。
「ほんまです。このままやと今夜眠れんのですよ」
そのときまた空が光った。柔造の首に回された竜士の腕に力がこもる。あやしてやろうとして、手を塞ぐ行灯が邪魔やな、と柔造は思う。仕方がないので首を傾けて竜士に摺り寄せる。
「ね? せやから柔造のお願い聞いたってください」
「………おん」
小さく返ってきた答えに満足げに頷いて、柔造は竜士を抱いたまま子ども部屋へと歩き出す。
雨は止む気配もなく降り続いていた。
[18回]
PR